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本当にギャルは消えた。  Ranzuki 3月号

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Ranzuki(ランズキ) 2015年 03月号 [雑誌]

本当に、ギャルは消えたね。。。

ヤマンバ、イベサー、ガングロ…ギャル・ギャル男はどこに消えたのか? 【 「ギャル文化」と「渋谷」をめぐる歴史を紐解く】

ダ・ヴィンチニュース 2014年12月29日(月)11時30分配信

『egg』創刊号(1995年)

 2014年、ギャル系雑誌『EDGE STYLE』『egg』『BLENDA』『小悪魔ageha』『Happie nuts』が相次いで休刊し、アメリカで放送されているニュース番組「NHKワールド」でも「日本のギャル雑誌消滅」という話題が伝えられた。それを見たアメリカ人が「もう渋谷が存在する意味はないのか? 悲しすぎる」とFacebookに投稿していたので、ちょっと気になって渋谷のセンター街へ行ってみた。2011年にメインの通りが「バスケットボールストリート」に改称されたセンター街には、郊外にもあるチェーン店が多く立ち並び、あれほどたくさんの若者が集まっていた場所には、今どきな黒髪の大人しそうな少女たちが歩いていた。そして「ギャルの聖地」と呼ばれ、ギャルで溢れ返っていた「SHIBUYA 109」には、仲の良さそうな母娘が連れ立って買い物に来ている空間となっていた。

【画像あり】ギャル&渋谷関連カルチャー年表(2014年12月26日作成)


「ギャルはいなくなってしまったのか?」 そんな疑問が頭をもたげた。


 「ギャル」という言葉は「女の子」を意味する「girl」のアメリカのスラングの発音から生まれた言葉だ。日本で使われ始めたのは1970年代頃からで、当時は「ピチピチギャル」「キャンペーンギャル」など、若さ溢れるハツラツとした女性を言い表す言葉だった。ギャルの持つ意味合いが変質したのは1989年、『SPA!』で連載が始まった中尊寺ゆつこのマンガ『スイートスポット』に登場する、それまでは男性の領域であったゴルフをやったり、モツ鍋を好んで食べたりするワンレン・ボディコンのOL「オヤジギャル」(こうした女性は「イケイケギャル」とも呼ばれていた)が最初だろう。もともとの「若い女性」という意味合いを持ちながら、そこに「オヤジ化」という新しい意味が付加されたのだ。

 そして注目すべき存在は、1993年頃から出現する「コギャル」だ。当時、クラブのエントランスに立っていた黒服たちが、本来は入店できない18歳未満の女子高生たちを「高ギャル」と呼んだこと、またギャルよりも年齡が低いことから「小ギャル」と言われたことなど諸説あるが、コギャルと呼ばれた彼女たちの特徴であった、ブレザーの制服のチェック柄ミニスカートにルーズソックス、ラルフローレンの白いベストに茶髪というスタイルは1995年に一大ブームとなった。『東京ガールズコレクションの経済学』(山田桂子/中央公論新社) によると、彼女たちがお手本としたのはアメリカ西海岸のLAカジュアルやサーファー系にあったという。この後「ギャル」という呼称は、女子高生を中心とした世代を指す言葉になっていく。

 そんな彼女たち憧れの存在が、アイドルグループ「SUPER MONKEY’S」に在籍していた安室奈美恵だった。1992年にデビューしたグループは1994年に「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」と改名(後に安室のソロと、4人組の「MAX」になる)、1995年1月に『TRY ME~私を信じて~』がリリースされて大ヒット、人気が爆発した。そこで生まれたのが「アムラー」で、厚底ブーツに茶髪のロン毛、浅黒い肌というスタイルは瞬く間に流行した。こうしたコギャルブームを牽引したのが、1995年創刊の『egg』(当初は「HYPER IDOL STATION」と銘打ち、ギャル系雑誌ではなかった)や、1996年創刊の『Cawaii!』だった。

 その安室が1997年、「trf」のsamとの結婚・妊娠を発表する記者会見で身につけていたのが、イギリスの名門ブランド「バーバリー」の日本独自のセカンドラインだった「バーバリー・ブルーレーベル」のチェック柄のミニスカートだ。これを見たコギャルたちが我先にと群がり、あっという間に売り切れたほどだった。そして産休に入った安室と入れ替わるように1998年にデビューしたのが浜崎あゆみだ。色白の肌に大きなサングラスをかけ、派手なメイクとネイル、ヒョウ柄を愛する彼女は「女子高生のカリスマ」と呼ばれ、ギャルたちのトレンドは黒い肌から美白へと大きくシフトした。その浜崎は1999年から『NHK紅白歌合戦』に15年連続出場していたが、ギャル雑誌休刊ラッシュに合わせるように2014年に落選、これも「ギャル文化の終わりか?」と象徴的に報じられた。

 コギャルブームの後、1990年代後半の渋谷では独自の「ギャル文化」が花開いた。顔も体も日焼けサロンで真っ黒に焼き、目元と唇を白く塗った「ガングロ」から、真っ白になるほどブリーチした髪に原色の服などさらにエキセントリックになった「ヤマンバ」や、何日も風呂にはいらないという「汚ギャル」、ピカチュウなどの全身に着るタイプの着ぐるみを着た「キグルミン」、盛るメイクはそのままにスタイルが少し落ち着いた「お姉ギャル」、茶髪にメッシュなどで頭頂部を盛り上げたヘアスタイルに、タイト目でアニマルプリントなどの派手な服装、先の尖った靴などを身にまとった「ギャル男」や「センターGUY」などが登場した。こうした文化を盛り上げたのが『egg』や1999年創刊の『Men’s egg』、2000年創刊の『S Cawaii!』などだった。また2005年には『小悪魔ageha』が創刊され、夜の街でキャバクラ嬢として働く人たちをモデルとして起用、彼女たちは「age嬢」と呼ばれ人気となった。

 これほど盛り上がっていたギャル文化、いつからブームではなくなったのだろう? ギャルたちがこぞって服を買いに行っていた「SHIBUYA 109」は2009年、過去最高の286.5億円を売り上げるが、その後はそれを超えておらず、2011年には24店舗を入れ替える大胆なリニューアルを行った。その頃から渋谷に集まりだしたのは、10月31日のハロウィンで仮装をする人たちや、サッカー日本代表を応援するサポーターたちだった。そこに集まる人たちの格好はすっかり大人しくなり、高いヒールも、金髪のような明るい色の髪も、原色やアニマルプリントなどもほとんど見かけることがなくなってしまった。

 こうして見ていくと、本当にギャルたちがいなくなってしまったかのように思える。

 そこでダ・ヴィンチニュース編集部では、日本で唯一「ギャル・ギャル男文化」を研究する、元渋谷イベサー「ive.」代表であった荒井悠介氏に当時の話と現在のギャルたちを取り巻く環境について、さらにはメディア側からギャル文化やファッションを牽引する雑誌『S Cawaii!』(主婦の友社)の浅見悦子編集長に、2010年代の若者たちの動向と今後の予測、ギャルファッションの影響について、そしてギャルとはいったいどんな存在なのかを取材し、消えてしまったギャルたちの行方を追った。


【ギャル&渋谷関連カルチャー年表(2014年12月26日作成)】
■1980年(昭和55年)
『Popteen』創刊

■1983年(昭和58年)
『ViVi』創刊

■1989年(昭和64年・平成元年)
1月7日、昭和天皇崩御。新元号が『平成』になる
1979年4月開業の「ファッションコミュニティー109」が「SHIBUYA109」へと名称変更
渋谷に「チーム」が生まれ始め「チーマー」と呼ばれる。後に彼らのファッション「渋カジ」が流行
中尊寺ゆつこ『スイートスポット』連載開始(「オヤジギャル」で1990年新語・流行語大賞銅賞を受賞)
12月29日、日経平均株価が史上最高値38957円44銭を記録(バブル景気のピークといわれる)

■1990年(平成2年)
3月『東京ウォーカー』創刊
「イタメシ」「ティラミス」人気となり、「キレカジ」(きれいめカジュアル)が流行
11月『HMV渋谷』がオープン(現マルハンパチンコタワー渋谷)

■1991年(平成3年)
5月「ジュリアナ東京」オープン(~1994年閉店)
バブル景気が崩壊、1993年にかけて景気後退
渋カジのアイテム「紺ブレ」が新語・流行語大賞表現部門銀賞を受賞

■1992年(平成4年)
「ポケベル」に数字でメッセージを送ることが女子高生などの間でブームに
ファッションや音楽などのムーブメント「渋谷系」が流行の兆しを見せる

■1993年(平成5年)
「コギャル」という言葉が雑誌に登場、後に「ガングロ」もブームに
「ルーズソックス」が流行し始める

■1994年(平成6年)
自動車・携帯電話の買取制度スタート、携帯電話の普及が始まる
小室哲哉による楽曲が人気を集め「小室ブーム」を巻き起こす

■1995年(平成7年)
1月、安室奈美恵 with SUPER MONKEY’Sが『TRY ME~私を信じて~』リリース、「アムラー」がブームに
11月「Windows95」発売、インターネットが普及し始める
『egg』創刊
PHSのサービス開始

■1996年(平成8年)
3月『Cawaii!!』創刊(~2009年休刊)
3月、JR埼京線が恵比寿駅へ延伸開業、渋谷駅にホーム設置
「バーバリー・ブルーレーベル」の販売スタート
「援助交際」が問題化し、新語・流行語大賞トップテンにも入賞。同年には「ルーズソックス」「チョベリバ・チョベリグ」「アムラー」も入賞するなどギャルがブームに
携帯電話の「着メロ」が始まる
「ポケベル」が最盛期を迎える
「Yahoo! JAPAN」がサービス開始

■1997年(平成9年)
6月20日、渋谷センター街入口にあったアーケード看板が台風7号の強風によって倒壊、男性1人が死亡
10月、安室奈美恵がTRFのSAMとの結婚と妊娠を発表
12月、安室奈美恵が『CAN YOU CELEBRATE?』でレコード大賞を2年連続受賞、『紅白歌合戦』で紅組トリを務め、産休に入る
携帯型育成ゲーム「たまごっち」がブームに
「ジベタリアン」が『現代用語の基礎知識』に掲載される

■1998年(平成10年)
4月『Ranzuki』創刊
4月、浜崎あゆみ『poker face』でデビュー
9月「HMV渋谷」が移転(現FOREVER21渋谷)
12月、安室奈美恵が『紅白歌合戦』で『CAN YOU CELEBRATE?』を歌い、復帰
「ヤマンバ」が登場し始め、「ガングロ」が「ゴングロ」へと変化

■1999年(平成11年)
1月に発売されたアルバム『A Song for ××』で浜崎あゆみがブレイク
『Men’s egg』創刊
「iモード」「EZ web」「J-SKY」サービス開始、携帯電話がインターネットに接続する
「魔法のiらんど」サービス開始
DDIポケット(現ウィルコム)がカメラ付き携帯電話を発売
「カリスマ店員」ブーム(「カリスマ」は新語・流行語大賞トップテンに入賞)
12月、ハチ公口前のスクランブル交差点前に「QFRONT」オープン

■2000年(平成12年)
9月『S Cawaii!』創刊
9月「Google」が日本語による検索サービスを開始
「パラパラ」がブームに
「ブリテリ、ふみっこ、アコ吉」の通称「ゴングロ三兄弟」が注目を集める
「ギャルサー」が出現し始める

■2001年(平成13年)
春頃、突如ガングロが消滅、ブームが終わる
8月「J Soul Brothers」から改名した「EXILE」がデビュー
10月、NTT Docomoが第3世代移動通信システム「FOMA」を発売、通信速度が上がる
携帯電話で撮影した画像をメールに添付する「写メール」がブームに(J-PHONEのキャンペーンが発端)

■2002年(平成14年)
2月、新宿・歌舞伎町に街頭防犯カメラシステムが導入される
12月、埼京線恵比寿駅~大崎駅間延伸開業、りんかい線との直通運転を開始
Yoshi『Deep Loveアユの物語』が書籍化され「ケータイ小説」がブームに

■2003年(平成15年)
9月『BLENDA』創刊
11月、渋谷センター街パトロール隊(SCGP)結成
ヤマンバが「マンバ」として復活し、センターGUYなども登場
「スーパーフリー」事件、イベサーなどの直接関係のない団体まで影響を受ける

■2004年(平成16年)
2月「mixi」がサービス開始
3月、渋谷センター街に街頭防犯カメラシステムが導入される
4月「前略プロフィール」がサービス開始
11月「Happie nuts』創刊
ピカチュウなどの着ぐるみに身を包んだ「キグルミン」や「お兄系」が登場

■2005年(平成17年)
2月、コンタクトレンズ「ワンデーアキュビュー ディファイン」が登場、カラコン、デカ目がブームに
4月『JELLY』創刊
8月、代々木第一体育館で第1回「東京ガールズコレクション」開催
10月『小悪魔ageha』創刊(『Happie nuts』の特別号として『小悪魔&ナッツ』という名で創刊。のちに『小悪魔ageha』に名称変更)
12月「AKB48」が秋葉原で初公演
倖田來未が人気となり「エロかっこいい」が流行

■2006年(平成18年)
4月、ドラマ『ギャルサー』放送(藤木直人、戸田恵梨香、鈴木えみ、矢口真里、新垣結衣などが出演)
雑誌『CanCam』が発行80万部に達し、ブームに(専属モデルの山田優、蛯原友里、押切もえも人気に)

■2007年(平成19年)
1月、アップルが「iPhone」を発表(日本未発売)
『Popteen』の読者モデルだった益若つばさが人気に

■2008年(平成20年)
4月「Twitter」日本語版がスタート
5月「Facebook」日本語版がスタート
6月、和光市~渋谷を結ぶ「東京メトロ副都心線」が全線開通
7月「iPhone 3G」が日本で発売、スマートフォン時代に
9月『mama nuts × ageha』創刊、後に『I LOVE mama』として月刊化(ギャルママが注目される)
9月「H&M」が日本初出店(銀座)
9月15日、世界的金融危機「リーマン・ショック」が発生
『sweet』4月号付録の「シェル」のエコバッグが人気となり、付録が雑誌の目玉となる

■2009年(平成21年)
4月「FOREVER21」が日本初出店(原宿)
9月「H&M」が渋谷に出店
12月「FOREVER21」が渋谷に出店
「SHIBUYA109」が286.5億を売上げ、過去最高を記録

■2010年(平成22年)
6月『EDGE STYLE』創刊
8月「HMV渋谷」閉店
「女子会」が新語・流行語大賞のトップテン入りし「女子ブーム」に

■2011年(平成23年)
3月11日、東日本大震災が発生
9月、センター街のメインストリートが「バスケットボールストリート」に改称
10月、渋谷スクランブル交差点を中心にハロウィンの仮装をした人が集まるようになる
「おしゃP」ブーム
携帯電話新規販売台数の約半数がスマートフォンに
「SHIBUYA109」が24店舗を入れ替えるリニューアル、「109MEN’S」が渋谷にオープン

■2012年(平成24年)
2月、ソフトバンクモバイルが「SoftBank 4G」のサービスを開始、第4世代移動通信システム時代に
4月「渋谷ヒカリエ」オープン

■2013年(平成25年)
3月、東急東横線渋谷駅が地下化、東京メトロ副都心線と直通運転を開始
3月、渋谷スクランブル交差点に集まるサッカー日本代表のサポーターが暴徒化しないよう警察が出動、通称「DJポリス」が初登場
8月、渋谷センター街最後のゲームセンター「渋谷会館モナコ」が閉店
10月『Men’s egg』休刊

■2014年(平成26年)
2月『EDGE STYLE』休刊
4月、インフォレストが事業停止となり『小悪魔ageha』「Happie nuts』が休刊
5月『egg』休刊
8月『BLENDA』休刊
8月『姉ageha』が復刊
8月「HMV record shop 渋谷」がオープン
12月『小悪魔agehaメモリアルBOOK』が発売

文=成田全(ナリタタモツ)

Ranzukiも脱ギャルのその後みたいな雑誌になっちゃったもんね!!
必死に小松菜奈推してるけど似ても似つかねえよ。




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